京田辺シュタイナー学校① 見学・面談のお話し
皆さん
こんばんは!
いやーおとんが熱出して大変(~_~;)
39度!
大事にしてくれな〜おとん。おかんもおとんがいてこそやし。家族が一番大事です。
っとプライベートは置いておいて、さる21日、シュタイナー教育で有名な
に見学、現役の先生と面談して参りました。
相変わらずのADDっぷりを発揮し、乗り過ごし乗り過ごし、グーグルマップには嘘を疲れ・・・・・やっと息絶え絶えに校門についても
「どうやって入ったら良いかわからん」
・・・・校門っぽいのが見当たらないんですね〜
校門の前でウロウロして不審者になりかけていると、小学校低学年くらいの子供達が遊んでいたので、「先生呼んでくれる?」とお願いすると「センセー!」
元気に呼んでくれました😄 (有難うね!)
その先生さんが見学・面談の担当という訳ではなかったのですが「どうぞ!」
元気に見学面談担当の先生を呼んでくれました〜
もうこの時点で 「良い学校だな」と確信しました。
応対してくださったのが内海先生という女性の先生でした。とても柔和な雰囲気を持たれた方で、会った瞬間「色々話しても大丈夫ですよ」という空気を感じました!
ぼくは緊張しているときや病気で体調が悪い時は、何とか自分の気持ちを伝える為にロジカルな言葉でその場を埋めてしまう傾向にあります。それは一見コミュニケーションが取れているように見えるのですが、実は取れていないのです。
コミュニケーションとはまた他の記事でも書こうと思いますが、連続可能性のあるものでなければなりません(コミュニティが持続可能性を前提とすることのアナロジー)。そして連続可能性の核は「納得感」です。次もこの人と喋りたいと思うかどうか。
話が脱線しましたね😅
そんな素敵な先生とお会いしたのはいいものの、実はぼくはシュタイナー教育メリットについて根ほり葉ほり聞くつもりはありませんでした。
事前にある程度の知識は入れていたからです。
それよりも聞きたかったのが、シュタイナー教育に置いてぼくが実際に懸念している問題(もちろんそれは学力なんていうつまらないものではありません)と京田辺学校における具体的成果事例です。
ぼくは懸念事項として「シュタイナー教育の属人性の強さ」を意識していました。
シュタイナー教育は、小学校1年から8年間、同じ先生に教えられます。これはぼくが義務教育において問題視する「生徒の成長において先生が当たりか外れという、先生くじへの依存度が強すぎる(属人性の強さ)」に強く当てはまるからです。
内海先生もその点は意識されていたようで直ぐに答えが返って来ました。
1年の付き合いではその子のことをよく理解しないでも「やり過ごせてしまう」
しかし8年もの付き合いになると決まっているならばそんなことではやっていけない。全てをさらけ出して「その子に集中していく覚悟」が必要になる。
その覚悟を生徒・保護者・先生を交えてじっくり固めていける。
それは授業中においても子どもの微細な違いまでも解るようなところまでの集中力にまで達する。
なるほどなぁ と感じました。
人は1年間の付き合いならごまかせてしまうんですよね。そこに何の価値が生まれなくても。
けれども人は8年間も付き合う相手とごまかしの無価値な関係を作るよりそこに価値ある関係性を見つけるための覚悟をするでしょう。
ぼくは学校の離脱可能性の容易性が担保されるべきだと考えていますから、全同意ではありませんでしたが、新たな視点を頂きました。とてもハッピーです。
その後も色々話をしました。学校への転入や義務教育への回帰など。そこも柔軟に認めていらっしゃるようです。
ぼくが読んだ「ミュンヘンの小学生」という本からは(20年以上前のドイツのシュタイナー学校ということもあるでしょうが)コミュニティの離脱可能性・転入可能性について否定的な感じを読み取っていたので、安心しました。
子供が複数のコミュニティに属している、または特定のコミュニティで上手く行かなかった時のリスクヘッジとしての離脱可能性はかなり重要視されるべきだと思うので。
その後はぼくのお得意の、論理の庭石5段飛ばして3曲がるみたいな ロジカルにギリギリ裏付けられた感性優位のお話しをして見ましたが、
内海さんは
「何となくわかりますよ」
これがぼくの一番好きな言葉だったりします。
「分かります」というのは本質的にはあり得ないのです。なぜなら個人の積み重ねてきた認知・人生から生成される感情は必ず分岐するからです。同じ言葉でも、それは人間の共通アルゴリズムとして普遍的なレベルで一致しているだけであってその基底にある感情では一致してはいないのです。
だから「何となくわかる」という方が「わかる」より本質的な表現です。
内海さんは「シュタイナーっぽい考え方ですね」と仰ってくれました。
失礼ながらぼくはシュタイナーという学者をそこまで知ってはいないのですが、農業や労働の在り方、植物学までにも自身の思想を反映させているようです。
ぼくは根元的に「どういうことなのか」を深掘りするのが癖があります。
(だから会社組織からは厄介な人になりやすいのですが。一々止まって考えるので。マルチタスクおせーって感じです。)
おそらく、ぼくなどとは比肩すべきレベルにない高次元でシュタイナーは根元的な問いと実践の往来を超高速で繰り返していたのでしょうが、それは中々嬉しい言葉でした。
そして、帰り際に内海さんはとてつもなく素晴らしい本をぼくに進めてくれたのでした。
京田辺シュタイナーの話①