大掃除から解説する!ーオルタナティブスクールの必要性 (雑巾アナロジー
大掃除 をしていて分かる多様性 と 個人最適。
そこから導かれる
オルタナティブスクールの必要性
解説していきます。
1 木目
うちはフローリングなんですが、そのフローリングのパネルは木材で各々に異なる木目をしています。
ぼくは雑巾派(んなものはない)なんですが、拭き拭きしていると各々のパネルは木目がウネウネしていたり円を描いていたりします。
それを雑巾でストレートに拭こうとすると何か引っ掛かりを覚える。
んでちょっと考えると、そもそもぼくは
「雑巾を真っ直ぐにして拭く」ことが目的じゃなくて
「フローリングのパネルの汚れを落とす」ことを目的にしているんです。
そうすると、雑巾の掛け方は、綺麗にする対象物の木目に沿って「最適」な方法で行うことになると思うのです。
必然的に雑巾の掛け方は「均一的」ではなくなります。
ぐにゃぐにゃしたり、円を描いたり。
でも「多様」な木目がある以上、それが「最適」です。
最適な雑巾掛け方法を、パネル毎に考えながら行う、というのは、
パネルの立場に立つということです。彼らのニーズを掴むということ。
そうすると、「適当に拭いて終わり」なんて思考は芽生えず、対象物への解像度が高まり、集中して雑巾掛けを行います。拭き残しも減っていくのを感じます。
つまり、雑巾掛けが「対象物を綺麗にする」ということを目的とする以上、その方法は対象物の「多様」性に依存して「最適解」をだすので、
「これが正しい方法」という均一的な方法は存在し得ません。
「端っこから雑巾掛ける」みたいな思考停止の方法は「対象物」を無視した自分本位の掃除です。
2 ビジネスの木目
この雑巾掛けアナロジーはビジネスでも同じく当てはまります。。
弁護士ならクライアントの主張から導かれる法的主張の構成が他事例と一緒であっても、財務、被害者感情、身体拘束時間の希望などによって対応を変えることが
「クライアントの幸せ」 に適います。
3 教育の木目
雑巾アナロジー は教育にはより強く当てはまります。
生徒は
同じ歳=同種類のフローリングという均一性 は持ちますが、木目はそれぞれにおいて異なる 多様性
を必ず持ちます。
そうだとすればどう磨けば輝くのかという 最適解 は個人で異なります。
ここで 義務教育 のスコア教育は瓦解します。
均一的なスコア付けは個人最適と逆行しているからです。
そこで
個人最適解を追求するオルタナティヴスクールの登場の必要性が導かれます。
もちろん義務教育がしてくれればいいのですが、文部省官僚は「木目」を直にみる機会が少ないので関心は薄いでしょう。