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試験の意義

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修造さんは超理論派。好き

試験 

その意義は何でしょうか。

 

その人の知能指数?知識の熟練度?

 

色々言われますが、

 

僕は 「真剣試合」性だと思います。

 

何事も「真剣試合」の時がスキルが伸びます。

 

前の記事「言葉の魅力」でも野球のイニングの終盤では序盤と異なると書きました。

 

試験は厳密な監督下の下、短時間 自分の最大出力を図るものです。

 

その試験下でのアウトプット、つまり「真剣勝負」の下でのみ

「自分の限界値」を出せます。

 

いや「限界を越えようとする意志」で練習ではでなかった「火事場の馬鹿力」が

出る場合もあります。

 

そして、振り返りを即時に行うことにより、

また人間は高みを目指せるのだと思います。

   

             桑田選手。カッコイイ。全て。

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94年 中日vs.巨人 「10・8決戦」

 

しかし、いくつかの試験では「真剣勝負」の最高のメリットを享受できないものがあります。

 

メジャーどころだと、TOEICやSPI試験。

 

受けられた方は多いと思います。

 

どちらも、自分の解答が合っていたかどうか即時のフィードバックが得られません。

 

僕の場合、受けている時、最高に楽しい。興奮してるんですね。

自分の限界が分かるし、限界を超えなきゃいけないこともわかる。

「試合中に成長する感」 真剣試合だからこそ。

 

ただ、その最高の集中力の結果が帰ってこない。TOEICは点数は返ってきますが自己の解答は返してもらえません。

 

自分の最高だったと思う解答が間違っていた時のショックや集中力が勝った瞬間の選択

 

真剣試合だったからこそ、振り返りたい。結果じゃなく、自分の最高出力を知りたい。

 

試合の意義は「真剣試合」性にあります。

 

TOEICが100点上がった結果より、何で上がったか それを知りたい。

 

点数がなぜ上がったのかf:id:dabblearm:20181226190232j:plain のなら積み重ねができない。

 

コミュニケーションなどの数値化できないものもそうです。

 

毎日、真剣試合をしていきましょうぞ。