Personalized Diversity Community

健常者より優れた器官・認知を持ち得る「テック・デザイン・プロダクト」 を開発する視点が障がい者の「当事者感」にある。 健常者も高い利便性・意匠性によりそれを自身に取り入れるようになると、両者は馴染んでいく。 倫理論ではなく、経済的合理性に基づくなアプローチによって、 現状の「全体のパラメータ総合値を無視し1つ2つのパラメーターの振れ幅だけをみて障がい者と健常者とを分ける」 フレームワークの消失を目指す。

5W1Hの追加考察

 

5W1Hは,ビジネス言語、つまり事実伝達のみを目的としたコミュニケーションのチェックリストとして機能します。なお、これを事実伝達以上に、自身の知見を深めてくれるメソッドと捉える方もいますが、それは入ってきた事実を解釈する人の事実に対する解像度(対象への集中力)に依存するものであり正確ではない表現かなと。

 

このメソッドを解剖している時に、あるブログで以下のような文章に出会いました。

 

英国の作家キップリングは,「5W1H」(「六何」ともいう)を「6人の賢者」にみたてて,その詩の一節で次のように書いています。

I keep six honest serving-men.
    (They taught me all I knew);
 Their names are What and Why and When
   And How and Where and Who.
(私は,6人の正直な召使いを持っている。
彼らは,私の知りたいことを何でも教えてくれた。
その名前は,What,Why,When,How,Where,Who である。)

 

これをメソッドの有用性のエビデンスとしてあげているのかな?違ったらごめんなさい(伏せ目

ただ、もしエビデンスとしてあげているのなら、正直不適ではないかなと。

このメソッドは彼の作品の重要な要素をなしているわけではありません。もし重要な要素をなしているなら、彼の作品に心を動かされることはないでしょう。

作家は新聞記者のような事実伝達者ではなく、アートよりの職業ですから。

現代のビジネスコミュニケーションでは,正確性(Correctness),明確性(Clearness)簡潔性(Conciseness)の3Cが求められ、それを助けるのが「5W1H」「六何」です。新聞記者のようだぁ。

 

そこにアートよりの表現、つまり人の感情を動かすエモい表現は不要ですね。

作家の仕事が、情報を正確に伝えることか、それとも人の心を動かすことか、ということをみればエビデンスとして不適かなっと。

 

そのブロガーさんが見ていたら「ふーん」ぐらいに思っておいてくださいな。

また、仕事ができる人は5W1Hの原則を使いこなせている人であるという因果関係に繋げる言論もよくみます。各メディア媒体でバズっています。

 

ただ、それは仕事ができるということとは因果関係にあるわけではないと思います。

仕事ができるとは、つまり成果物の質の高さが前提であると思います。

 

仕事の質はその伝達の上手さには本質的には関係がないです。

 

ただ、新聞記者の方であったり、事実伝達の上手さを「仕事」に含める前提にすれば

仕事ができる、といえるかもしれないですね!

これは書いていて、ああー僕考えミスった!と思いました。最後の最後にして・・

 

なぜなら、他者に成果物の質が正確に伝わなければ、その成果物がスケールことはないでしょうから。

 

ただ、

仕事ができる人は5W1Hの原則を使いこなせている人、というのは因果関係にありません。相関は取れるかもしれませんが。

この表現は仕事というものの内在的価値(それが社会でどう役に立ち、生活を豊かにするのかという文脈で使っています)を見ない傾向にある現代ビジネスマンの評価基準を、皮肉にも表しているように思えます。

 

自分は大丈夫か〜

 

自省します。

 

ではではバイビー