「英雄(ヒーロー)」となる場所
先日、あるデイケア施設のプログラムをスタッフ様のご厚意で体験させて頂きました。
対象は子供さん。
デイケアで子供たちに対してどういった取り組みをされているのか
現場で子供さんと一緒に感じたかったからです。
来ている子供さんの印象はとてもアクティブ!
僕は人見知りなので 大体下調べします。
「初めて会う子供達の中にどうやってアプローチするか」
ググったり、時には本を買ったりして勉強します。
まぁ大体そんなことを考える暇なく子供達と遊ぶことになるのですが笑
精神年齢が子供のままなので!
スタッフの方から色々な運動プログラムの体験を提供された子供たちは感性を爆発させて取り組んでいました。
またスタッフの方も凄い元気で、「強いなぁ」って思いました。
小学生以下の感想ですが、本当に。
子供たちに負けない「強さ」を感じました。
プログラムは主に器械体操系のもので子供たちの体幹を鍛えている感じ。
フィジカル面がメンタル面を規定する
と考える僕はめっちゃ真剣にやってました!特に平均台はもっと極めたかった・・・
元気な子供達にはプログラムの他に腕相撲や相撲で元レスラーの強さを教えてあげましたよ!
存分に遊んだ後(ん?なんかおかしいよなぁ)
スタッフの方から色々ヒアリングさせて頂きました。
その中で響いた言葉が
子供たちにはここでは「英雄(ヒーロー」になってもらいたい
という言葉です。
人生ってロマンがないと味気ないものです。
社会人になった人が「ロマン」を感じて働くことはなかなか難しい。
子供も自我が芽生えていくにつれ
人生の辛さだけ教えられて「ロマン」を失っていくと感じています。
でもここでは「ヒーロー」になれる。ヒーロはロマンの塊です。
そんな言葉を言ってくれるスタッフさんがいるデイケアは
僕は単なるデイケア施設とは思えませんでした。
「ロマン」が溢れるコミュニティ
スタッフの皆様、体験を受け入れて頂きございました!
僕も「人生のロマン」を感じれました!
当事者「感」
今回は「当事者感」について書きたいと思います。
当事者感を知ることによって問題解決に対し誰にアプローチすればいいのか分かります。
僕の「当事者感」の定義
当事者ではないが当事者の肌感がある
世間の「当事者の立場に立って」と同義です。
ただ、僕は肌感の方が腑に落ちるので。
なぜか。
「感」だからです。
そもそもある事態に対する集中力は、
五感の入力感度によって決まります。
その入力感度が高いのが当事者です。
例えば、待機児童の問題について一番集中力があるのは
当事者である主婦(主夫)の方です。
であるならば、待機児童の問題の政策を策定するのは「主婦経験」のある女性議員が適当です。
当事者になる潜在的可能性があるため問題に対する入力感度が高いからです。
ある昔のニュースでは 保育園で安倍総理に対して待機児童の問題解決を嘆願する光景がありました。
誰が悪いということを言うつもりはありません。
ただ、安倍総理の政策策定のリソースは安全保障と景気回復に大きく割かれています。
また、安倍総理の経歴からすれば保育問題についての入力感度を高くするのは難しいでしょう。
当事者ではないが当事者の肌感がある
ということから誰にアプローチすればいいかわかってきます。
自分はそんな入力感度がない場合はどうすればいいのか?
簡単。
現場に直接足を運んで
現場の人の話を
その目と耳と手と鼻 五感をフル活用して現場に流れる空気を直接入力する
「自分の言葉」
今日は「自分の言葉」で語ることの重要性について書きたいと思います。
コミュニティを開いていて感じたのは、みなさん自分の言葉で語る時
イキイキしているな〜ということ。
私がコミュニティを設けようと思ったのは、
参加者の方には気軽に参加してもらって 自分の言葉で語る場を提供したい という一心です。
「自分の言葉で語る」機会って ビジネスが一日の可処分時間のほとんどを占める現代では 非常に貴重だと思うからです。
ビジネスは効率性(生産性)が企業体力に直結するから仕方ないと思うところもありますが。
自分の言葉で語る ことはコミュニケーションコストが高いです。言ってしまえばみんなの共通言語に配慮しない言葉ですから。
上司、同僚に「自分の言葉で語る」と「要点は?」と言われるのがオチです。
本来、人間は「語る」ことが快楽です。それは「自分の言葉」であればなおさらです。
社会が自分の言葉で語らないのを許さないのなら
「自分の言葉で語る」ことを僕のコミュニティという社会で推奨致します。
その中で僕が責任を持ってファシリテートします。
その言葉が「刺さるように」。
あいしんくは京都でも開く予定です(宣伝)。
どちらかというと「発達と教育」という命題かもしれませんが。
ではまた!
試験の意義
試験
その意義は何でしょうか。
その人の知能指数?知識の熟練度?
色々言われますが、
僕は 「真剣試合」性だと思います。
何事も「真剣試合」の時がスキルが伸びます。
前の記事「言葉の魅力」でも野球のイニングの終盤では序盤と異なると書きました。
試験は厳密な監督下の下、短時間 自分の最大出力を図るものです。
その試験下でのアウトプット、つまり「真剣勝負」の下でのみ
「自分の限界値」を出せます。
いや「限界を越えようとする意志」で練習ではでなかった「火事場の馬鹿力」が
出る場合もあります。
そして、振り返りを即時に行うことにより、
また人間は高みを目指せるのだと思います。
桑田選手。カッコイイ。全て。
しかし、いくつかの試験では「真剣勝負」の最高のメリットを享受できないものがあります。
メジャーどころだと、TOEICやSPI試験。
受けられた方は多いと思います。
どちらも、自分の解答が合っていたかどうか即時のフィードバックが得られません。
僕の場合、受けている時、最高に楽しい。興奮してるんですね。
自分の限界が分かるし、限界を超えなきゃいけないこともわかる。
「試合中に成長する感」 真剣試合だからこそ。
ただ、その最高の集中力の結果が帰ってこない。TOEICは点数は返ってきますが自己の解答は返してもらえません。
自分の最高だったと思う解答が間違っていた時のショックや集中力が勝った瞬間の選択
真剣試合だったからこそ、振り返りたい。結果じゃなく、自分の最高出力を知りたい。
試合の意義は「真剣試合」性にあります。
TOEICが100点上がった結果より、何で上がったか それを知りたい。
点数がなぜ上がったのか のなら積み重ねができない。
コミュニケーションなどの数値化できないものもそうです。
毎日、真剣試合をしていきましょうぞ。
腑に落ちた言葉だけ
今日のテーマはシンプルで「言葉の魅力」
長ったらしいけど自分の経験を踏まえた論理より感情を優先した言葉
これが僕が魅了される言葉です。
これは大体文章にすると意味はわからんのですが、その現場で聞くと抽象度の高いレベルで「感じる」ことができます。そして何より響きます。
そもそも論理は「行動・感情の後付け」と考えている僕からすれば、
「腑に落ちた言葉だけを羅列したセンテンス」こそ偽った回数が少ないモノです。だから魅力的なのです。
ただ、ビジネスでは 現場で、つまりface to faceでいつも語れる訳ではありません。
共通言語として認識されていないため、解釈に時間がかかり、時間が限定されているからです。
それでは時間が限定された中での「魅力的な言葉」とは?
極端に短い言葉です。
短すぎる条件下では、話者は言葉への集中度が違います。
野球の序盤のイニングの攻撃と8、9回の攻撃の集中度は違いますよね。
一緒です。
頭のライブラリーを検索しまくった結果、狙い球を絞るしかないんです
そして、そこから出てくる言葉は極端にエモいです。
①自分の経験や思いが交錯する感情的な言葉
②極端に短い言葉
どちらもエモいです。
僕がファシリテーターであるコミュニティでは①②どちらもOK何ですが笑
僕がどちらも好きだから。
ただ、人数が多くなれば②に誘導する方します。
時間制限があるためです。
ついでに言うと、一番興味ない言葉は
誰かの言葉や本に書いてある知識をそのまま引用する、
「自分が主語でない、かつ、自己解釈が入っていない」 言葉です。
そしてこの引用が好きな人ほど「声がデカイ、早口で喋る=偉そうに喋る」傾向があります。
そうすると「場が萎縮」するんですよね。内容いかんに関わらず。
うちのコミュニティ、あいしんくムーンでは禁止ですww
注意! 次は桂西口会館、7月27日土曜日 18時〜20時ですね〜 同グループ初の京都進出となるそうです。
お間違えなく!